トーナメント2日目のボクのパートナーはダスティン・ベイカー。南カリフォルニアのアングラーで、2007年からFLWシリーズに参戦するアングラーで、ストレーンシリーズ等の参戦経験はありません。今シーズンはデルタ戦を27位でフィニッシュしています。初日は5匹9ポンドをウェイインして、まずまずのスタートを切っています。この日はテンプルバーまで走るプランです。ダスティンのGPSにはプラクティスで感触がよかったポイントが数多くプロットされていて、自信満々といった感じでした。
ダスティンのメインベイトはスピニングタックルによる肉厚ディッピングチューブワームのジグヘッドリグ。まさにスモールマウスの定番スタイルですが、ラージマウスもスモールマウスも釣れるそうで、スパイラルフォールで着底後、しばらく放っておくとラインが走るそうです。朝イチのポイントで、2人揃ってキーパーギリギリサイズでリミットメイクは成功しましたが、プラクティス、本戦も含めて、風が治まるのはこの日が初めてで、クリアウォーター&ピーカン無風で日が高くなってからは極端にタフになってきました。それでもダスティンのエリアはコーブの奥の底が丸見えのシャローばかりで、ボクはだんだん釣れる気がしなくなってきました。
ダスティンはランガンを繰り返し、遠目に見えるわずかなグラスをフリックシェイクのジグヘッドワッキーで狙う打つ作戦に変えて、散発ながらヒットが続きますが、ボクはほとんどバイトすらありません。気づくのが遅かったのですが、この日は光るラメ入りのワームへの反応が極端に悪かったのでした。ボクはラメ入りのワームが好きで、いろいろなカラーをローテーションさせていたんですが、光るラメの入っていないワームをほとんど持ってきておらず、わずかに残っていたグリパンカラーのスワンプクローラーに変えた途端に2匹の入れ替えに成功しました。プラクティスでは濁ったエリアばかりで釣りをしたり、風が強くて、ラメ入りのワームでもよく釣れたのですが、ピーカン無風のクリアウォーターではラメは逆効果だったようです。ボクの経験不足でした。結局、ボクは5匹6ポンド4オンス、ダスティンは5匹7ポンド5オンスで帰着となりました。
ダスティンはかなりの日本びいきのアングラーで、タックルボックスには日本のルアーがたくさん入っていました。日本人と釣りをするのは初めてなのか、ボクにいろいろ質問をしてきました。「なぜ、日本で人気ナンバー1のサンラインをお前は使っていないんだ? お前の使っているラインは軟らかそうだなあ」とボクが使っているよつあみのDARMには興味津々なようでした。また、「フリックシェイクをなぜ持っていないんだ」と不思議がっていました。
月別アーカイブ: 2008年5月
酸素発生装置
FLWシリーズ、レイク・ミード戦初日レポート
ワールドレコードバスの重み その5
「ワールドレコードのビッグバスが釣れたら、まず最初に弁護士を呼べ」アメリカでよく冗談で交わされる会話です。検量は弁護士立ち会いのもと行い、ヒットルアーや使用タックルについては多くを語らず、より高額の契約料を払ってくれるメーカーからのオファーを待って、後に使用タックルやヒットルアーを公表すればいいというのです。そうすることで、ワールドレコードをキャッチした人には数億円を手にすることができると言われています。
2006年3月20日、ドッティーはついにワールドレコードを超えるウェイトで再び、その勇姿を現しました。実はその前日、ジェド・ディッカーソン、マック・ウィークリー、マイク・ウィンの3人はスポーニングのためにシャローに上がってきたドッティーと遭遇しました。3人はなんとかドッティーをキャッチしようとしましたが、公園の門限が近づき、その日は諦めて帰ることとなりました。3人は翌朝3時に起き、4時前にはレイク・ディクソンに到着し、6時からのレンタルボート営業スタートと同時に他の誰よりも早く、ドッティーがいるポイントを目指し、アンカーを下ろしました。この日は小雨で西からの風が吹いており、サイトフィッシングには適さない状況でしたが、小さな小さなレイク・ディクソンを通いに通い詰めた3人にとっては、湖底の状況は完全に頭の中に入っています。スポーニングベッドの正確な位置も前日確認済みですから、そのピンポイントへ向かって、キャスト始めました。
そして、不幸な事故が起きてしまいます。マックは白いトレーラーをセットしたホワイトジグをキャストしていましたが、20投もしないうちにラインに変化を感じてフッキングをし、ついにドッティーとのファイトが始まったのでした。見事ドッティーとの再会を果たした3人でしたが、フックは口ではなくスレで掛かっていたのでした。
3人はすぐさまマリーナに帰りました。マックは用意していたビデオカメラを回し、バークレー製のデジタルハンドスケールで計量します。ウェイトは25.1ポンドと表示しました。そして、写真撮影の後、フィッシュ&ゲームの役人を待たず、公式な検量をせずに、すみやかにリリースされたのでした。写真はマック・ウィークリーではなく、マイク・ウィンがドッティーを持っているものです。写真にはドッティーの名前の由来ともなった黒いドットがハッキリと映っています。この模様は全米のニュースで流れ、大きなニュースとなりました。不可能とも言われたワールドレコードを超えるビッグバスをついに動画で目の当たりにしたのです。
3人はこのバスがスレで掛かったことを正直に公表し、IGFAはこれをワールドレコードとして認定することはありませんでした。ワールドレコードを本気で夢見て、何年もディクソンに通い詰めた3人だけに、このスレ掛かりは不幸としか言いようのない出来事でした。3人はワールドレコードに認定されないことを知っていたからこそ、ドッティーが少しでも元気なうちにリリースすることを選んだのでした。ドッティーはさらに2年間生き続けました。そして、最後までワールドレコードを更新することなく、その生涯を閉じました。マイク・ロングが最初にキャッチしてから7年生き続けたことになります。その間、ドッティーは毎年スポーニングを繰り返し、ドッティーのDNAを受け継ぐバスたちは今もレイク・ディクソンに生き続けます。
ワールドレコードバスの重み その4
ワールドレコードバスの重み その3
カリフォルニア州サンディエゴ近郊のレイク・ディクソンは面積が72エーカー(約0.29平方km)の小さな小さな”公園の池”です。そんなレイク・ディクソンが全米で脚光を浴びるようになったのは、2001年4月でした。ビッグバスハンターで知られるマイク・ロングが6インチ・キャステイクスイムベイトで20ポンド12オンスというビッグバスをレイク・ディクソンでキャッチしたのです。ボクはこのニュースをタイムリーにもアナハイムのアングラーズマリンに買い物に来ているときに聞いたのを今もよく覚えています。このニュースは当時大きな話題となりました。というのも、このビッグバスは当時ワールドランク8位のビッグバスであるというだけでなく、過去10年でキャッチされた最大のバスで、10年ぶりの20ポンドオーバー、つまり過去10年でキャッチされた最大のバスだったからです。
1990-1991年、カリフォルニア州キャステイク・レイクでは4匹の20ポンドオーバーのビッグバスがキャッチされました。特にボブ・クルーピがキャッチした22.01ポンドはワールドレコードまで3.84オンス足らずというもので、「ついにワールドレコードが破られるかも」という話題で盛り上がりました。当時の釣り雑誌もこぞってワールドレコードネタを取り上げたものでした。ところが、キャステイク・レイクのピークは過ぎ、20ポンドクラスのジャイアントバスは姿を消してしまいました。キャステイク・レイクどころか、他のカリフォルニアのレイクからも約10年、20ポンドクラスのバスがキャッチされることがなくなり、ワールドレコードを真剣に狙うアングラーも減ってしまったのでした。
ワールドレコードバスの重み その2
ちょうどボクがアメリカに行っている最中に、バスフィッシング界にとって悲しいニュースがありました。5月9日、世界中のバスアングラーに夢を与えてくれたレイク・ディクソンのドッティーこと、ジャイアント・ママがついに老衰で死んで浮いているのがパーク・レンジャーの1人によって発見されたのでした。
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もう一つのDQネタ その1
空き巣が家に忍び込み、部屋を物色したものの、盗むものがなくそのまま立ち去った場合、FLWの裁定なら、この空き巣は無罪となるようです。
ちょうどボクがアメリカにいる最中、アメリカではFLWの裁定について話題となる出来事がありました。事の発端は4月24-27日に行われたFLWツアー第3戦、レイクノーマン戦でした。 スニッカーズプロのグレッグ・プーはこの試合、予選2日間を9位で通過し、最終4位でフィニッシュしたのですが、2日目にオフリミットエリア内で釣りをしていた(?)のが5-6艇のバスボートによって目撃されたのでした。このオフリミットエリアとは、FLWによって目印がされており、ウェイインされたバスをリリースするエリアとなっていました。通常、オフリミットエリア内で釣りをしたアングラーはDQとなり、その日のウェイトはゼロとなります。仮にボートはオフリミットエリア外でもキャストしたルアーがオフリミットエリア内に入った場合でもDQとなるのがFLWのルールです。