ワールドレコードバスの重み その5


 「ワールドレコードのビッグバスが釣れたら、まず最初に弁護士を呼べ」アメリカでよく冗談で交わされる会話です。検量は弁護士立ち会いのもと行い、ヒットルアーや使用タックルについては多くを語らず、より高額の契約料を払ってくれるメーカーからのオファーを待って、後に使用タックルやヒットルアーを公表すればいいというのです。そうすることで、ワールドレコードをキャッチした人には数億円を手にすることができると言われています。
251lb  2006年3月20日、ドッティーはついにワールドレコードを超えるウェイトで再び、その勇姿を現しました。実はその前日、ジェド・ディッカーソン、マック・ウィークリー、マイク・ウィンの3人はスポーニングのためにシャローに上がってきたドッティーと遭遇しました。3人はなんとかドッティーをキャッチしようとしましたが、公園の門限が近づき、その日は諦めて帰ることとなりました。3人は翌朝3時に起き、4時前にはレイク・ディクソンに到着し、6時からのレンタルボート営業スタートと同時に他の誰よりも早く、ドッティーがいるポイントを目指し、アンカーを下ろしました。この日は小雨で西からの風が吹いており、サイトフィッシングには適さない状況でしたが、小さな小さなレイク・ディクソンを通いに通い詰めた3人にとっては、湖底の状況は完全に頭の中に入っています。スポーニングベッドの正確な位置も前日確認済みですから、そのピンポイントへ向かって、キャスト始めました。
 そして、不幸な事故が起きてしまいます。マックは白いトレーラーをセットしたホワイトジグをキャストしていましたが、20投もしないうちにラインに変化を感じてフッキングをし、ついにドッティーとのファイトが始まったのでした。見事ドッティーとの再会を果たした3人でしたが、フックは口ではなくスレで掛かっていたのでした。
Recordbassweight  3人はすぐさまマリーナに帰りました。マックは用意していたビデオカメラを回し、バークレー製のデジタルハンドスケールで計量します。ウェイトは25.1ポンドと表示しました。そして、写真撮影の後、フィッシュ&ゲームの役人を待たず、公式な検量をせずに、すみやかにリリースされたのでした。写真はマック・ウィークリーではなく、マイク・ウィンがドッティーを持っているものです。写真にはドッティーの名前の由来ともなった黒いドットがハッキリと映っています。この模様は全米のニュースで流れ、大きなニュースとなりました。不可能とも言われたワールドレコードを超えるビッグバスをついに動画で目の当たりにしたのです。
 3人はこのバスがスレで掛かったことを正直に公表し、IGFAはこれをワールドレコードとして認定することはありませんでした。ワールドレコードを本気で夢見て、何年もディクソンに通い詰めた3人だけに、このスレ掛かりは不幸としか言いようのない出来事でした。3人はワールドレコードに認定されないことを知っていたからこそ、ドッティーが少しでも元気なうちにリリースすることを選んだのでした。ドッティーはさらに2年間生き続けました。そして、最後までワールドレコードを更新することなく、その生涯を閉じました。マイク・ロングが最初にキャッチしてから7年生き続けたことになります。その間、ドッティーは毎年スポーニングを繰り返し、ドッティーのDNAを受け継ぐバスたちは今もレイク・ディクソンに生き続けます。

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