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幻のワールドレコード その7


Leaha  いきなりですが、左の写真で女性が持つバスは何ポンドに見えますか? 両手でめいいっぱい前に伸ばして撮られたバスの写真は、確かにいいサイズでしょうが、この女性がとんでもない大女でない限り、ボク的には全米を賑わすほどの記録的なサイズには見えません。

 2003年12月、IGFAとThe Fishing Hall of Fameは「ついにワールドレコードを更新するバスがキャッチされ、現在記録を認定するかペンディング中だ」という報告をし、1枚の写真を公開したのでした。このビッグニュースは当時大きな話題となり、ボクもロッド&リール誌でレポートをしたので、覚えている人がいるかもしれません。
 2003年8月24日、カリフォルニア州スプリング・レイクでまたしても事件が起きました。ポール・デュカロスが幻の世界記録をキャッチしてから6年後のことです。この日、リーハ・トリュー(当時45歳)は息子のジャバッド・トリュー(当時21歳)とともに、スプリングレイクにやってきて、13フィートのゴムボートで釣りを始めました。リーハは7インチサイズのワイルドアイスイムシャッドをキャストし、水深15フィートのウィードラインを狙っていたそうです。突然、大きなアタリがあり、2人を乗せたゴムボートはアンカーごと引っ張られたそうです。
 約10分の格闘の末、リーハはとんでもない大物をキャッチしたのでした。2人はライブウェルを持っていなかったので、ゴムボートの中に水を汲み入れて、慌てて岸にに向かってオールを漕ぎました。岸に着いた2人はバスをボガグリップを使ってウェイトを量りました。ウェイトは22.5~23ポンドを指したそうです。全長は29インチ、胴回りは25インチあったそうです。現場でそれを確認したのは、トリュー親子以外に偶然近くでピクニックをしていたチャールズ・フレミングの計3人でした。
 その後、2人はバスの写真を撮ろうとしますが、持っていたのは使い捨てカメラで、残されたフィルムはあと1枚のみでした。2人はこの問題の写真を撮って、ワールドレコードクラスのこのバスをリリースしてしまいました。ここまでなら、よくある話ですし、すぐには大きなニュースにもなりませんでした。しかし、リーハはIGFAに正式に22ポンド8オンスのワールドレコードのバスとして、記録申請を行ったのでした。申請には第三者の承認もあり、公式スケールと認められているボガグリップもまた誤差がないか提出がされました。申請的には決定的な不備はなく、このバスがもし他の魚種で他の記録なら、IGFAは問題なく記録を認定していたことでしょう。ちなみに息子のジャバッドは6ポンドラインクラスのバスの記録と2ポンドラインクラスのブルーキャットフィッシュの記録も保持しているそうです。※このあたりの記録申請のルールはボクは詳しくありません。
 ところが、それが70年以上破られていない大記録となると話は別です。20ポンド以上のバス自体、21世紀に入ってからはレイク・ディクソンのドッティー以外キャッチされたこともありません。写真のバスはどう見ても全長が29インチ(73.66cm)もあるようには見えません。当然、疑惑の目が2人に集中することとなりました。お金目当ての詐欺行為ではないかという声までありました。一方で「バスを記録認定するためには、殺すのもやむを得ないのか」、「キャッチ&リリースを推奨するIGFAの判断は?」という意見もまた寄せられました。まさに1997年の事件の再来です。結局、最終的には証拠不足ということで、オールタックルのワールドレコードには認定されませんでしたが、妥協案として12ポンドラインクラスの記録として認定するという後味の悪い決着となりました。現在の12ポンドラインクラスの記録は本当に22ポンド8オンスなのかは、確認できずじまいですが、ボク自身、ワールドレコードに認定されず内心ホッとしたのを覚えています。

ゴーストアユ以来の大流行


Imgp6927  ストライクキングとKVDがブームの火付け役となったセクシーシャッド・カラーは、日米の各メーカーもこぞって便乗して、さらなるブームとなっています。最近ではバグリーからもセクシーシャッドカラーが登場しています。今年のフィッシングショーでもセクシーシャッドカラー系が目立ちました。
 これほど、ある特定のカラーが注目されるのは、アメリカでは非常に珍しく、日本ではかつての”ゴーストアユ”ブーム以来ではないでしょうか?  確かにセクシーシャッドと命名し、ブームとしたのはKVDです。KVDによると、10年前から秘かに使っていたそうですが、チャートリュースのサイドラインを入れたのは、何もKVDのオリジナルというわけでもありません。以前から似たようなカラーはたくさんありました。
Imgp8077  ボクもセクシーシャッド系は好きなカラーですが、いわゆる”魔法のカラー”というわけでもありません。どんな水色でも比較的万能で使えるいいカラーだと思いますが・・・。ルアーなんて、使う本人がいかにコンフィデンスを持ってキャストし続けることができるかが、もっともっと重要な要素だと思います。
 ところで、セクシーシャッドと呼ばずにフォクシーシャッドやエロチカシャッドなんてセンスが光るネーミングをしているメーカーもあれば、テイスティーシャッド、サンバーストシャッドなんて名前を使っているメーカーもあります。中途半端なのはMSS(まんまセクシーシャッド?)やグローシャッド・ダズラーといったところでしょうか。ボクが名前付けるなら、ナスティーシャッドやバスティーシャッドなんてつけますが、ちょっとエロすぎですか?

幻のワールドレコード その6


 ポール・デュカロスの事件以降、再び数年の沈黙があります。スプリング・レイクからもピークを過ぎたレイク・キャステイクやレイク・カシータスからも20ポンドの壁を破るジャイアントバスがキャッチされることはありませんでした。
Long  21世紀に入り、最初に20ポンドオーバーをキャッチしたのはビッグバスハンターで知られるマイク・ロングでした。2001年4月27日、サンディエゴ郊外のレイク・ディクソンで20.75ポンドのビッグバス(写真上)がキャステイク・スイムベイトのサイトフィッシングでキャッチされたのでした。このジャイアントバスは、殺すことなくリリースされました。後にドッティーと呼ばれたこのバスは多くのビッグバスハンターを巻き込んで数奇な運命をたどることになります。
 ドッティーは2003年3月31日、21.69ポンドにまで成長して再びキャッチされ、さらに2006年3月20日、ワールドレコードをはるかに超す25ポンドオーバーとなってボク達の前にその姿を現すこととなります。残念ながら公式な記録とはならなかったとはいえ、全米のテレビに動画として25ポンドオーバーの本物のバスの姿が配信され、ワールドレコードは不可能ではないことを証明することとなります。そして、2008年5月9日、ドッティーはその生涯を閉じます。
 マイク・ロングは現在、最もワールドレコードに近いビッグバスハンターの1人です。今の世の中、ワールドレコードはアクシデントで釣れることはほぼあり得ないと言われ、真剣に狙っている経験豊富なアングラーにだけ、その禁断の果実を味わうチャンスがあると言われています。マイク・ロングはまさにそんな中の1人です。今までにキャッチした10ポンドオーバーは数知れず。おそらく史上最も多くの15ポンドオーバーのバスをキャッチしているアングラーでしょう。
Big_fish_winnerb  マイク・ロングは2007年3月16日にも、将来が有望なダイヤモンドバレーレイクで、16.43ポンドというレイクレコードとなるビッグフィッシュ(写真中)をキャッチしてます。このときのヒットルアーは6インチのレゴ・ベイツのリアル・トラウトだったそうです。
 ビッグバスハンターにとって、ワールドビッグバス・トップ25にリスト入りすることは大きな名誉でもあります。現在、このトップ25に2回リスト入りしているのは、ボブ・クルーピーただ1人です。そして、2005年4月23日、マイク・ロングは2人目のトップ25に2回リスト入りする名誉のチャンスが巡ってきたのです。
 この日、マイク・ロングはレイク・ミッション・ヴィエホに友人に誘われて釣りに出かけました。レイク・ミッション・ヴィエホは200エーカーのスーパークリアウォーターのダム湖で、周辺住民の会員メンバーまたは、メンバーと一緒のゲストしか釣りをすることができないプライベートレイクです。数多くのニジマスが放流されていたり、多くのレギュレーションに守られている(ほとんどのエサ釣りが禁止)こともあり、最近では数多くのビッグバスがキャッチされている注目のレイクでもあります。当時のレイクレコードは18.00ポンドでしたが、それ以上と思われるモンスターが数多く目撃されていました。
Long_mike  マイク・ロングは20ポンドオーバーと思われるバスを目撃しますが、キャッチすることはできず、その後午後7時30分、別のポイントでハドルストンROF12で19ポンド2オンスのビッグバス(写真下)をキャッチしたのです。そのバスは全長が28.5インチ、胴回りが27.75インチあったそうです。残念ながら、すでにパークレンジャーは帰っていたので、バスは公式に現認されることはなく、写真だけ撮ってリリースされたのでした。この湖はスロットルールがあり、12インチ未満または20インチ以上のバスはキープすることができなかったのです。公式な記録となっていたなら、2度目のトップ25入りの名誉だったのですが・・・。
 レイク・ミッション・ヴィエホでは、その後、2006年3月31日に19.7ポンドがキャッチされ、公式な記録としてトップ25入りしています。近い将来、この特殊なプライベートレイクで、ワールドレコードを更新するバスが釣れるかもしれません。今年の3-4月、事件は起きるでしょうか?

幻のワールドレコード その5


Paulduclos20big  1997年3月1日、全米に衝撃の事件が起きました。ついにワールドレコードを超えるモンスターバスがキャッチされたのでした。
 場所はサンディエゴ・エリアでもロサンゼルスエリアでもない、北カリフォルニアのサンタローザにある無名のスプリング・レイクでした。スプリングレイクは74エーカー(約0.3平方km)という、小さな小さな湖です。1985年に一度水を抜き、1986年に160匹のフロリダバスが放流された記録があります。
Castaic_hardbait_side2  ポール・デュカロス(当時32歳)は当時の南カリフォルニアで流行したキャステイク・トラウト(ウッドモデル)をキャストし、巨大なモンスターをキャッチしたのでした。ルアーは丸呑みだったそうです。桟橋に戻ったポール・デュカロスは近所のアウトドアショップに電話をし、公式のスケールを持ってきてくれないかと頼んだのでしたが、あいにくお店には1人しかいなかったために断られ、かわりに奥さんのシェリーに電話をし、家の体重計を持ってくるように頼みました。
Paulduclos24  最初、ポール・デュカロスだけが体重計に乗ると、目盛りは180ポンドを指し、その後バスを持ったまま体重計に乗ると、目盛りは204ポンドを指したといわれています。つまり、バスは24ポンドあった計算になります。正式なスケールで、正式な手順を踏んで記録を申請すれば、間違いなくワールドレコードが更新されたことでしょう。
 ところが、ポール・デュカロスはワールドレコードのバスを25ポンド以上と勘違いした上、バスの体内には多くの卵があることが明らかだったので、写真を撮って、すぐにその場でリリースしてしまったのでした。現場にはデュカロス夫妻以外にもう1人目撃者がいましたが、その後、IGFAはこのバスを公式なワールドレコードとして認めることはありませんでした。
 この手の話は少なからずあるものですが、このときだけは違いました。ポール・デュカロスは100匹以上も10ポンドオーバーをキャッチする地元ではよく知られたビッグバスハンターだったからです。しかも、写真のバスは疑う余地もなく巨大です。
 ポール・デュカロスが持つ巨大なバスの写真は全米で大きな反響を呼びました。写真から推測されたバスの全長は29-31インチ、胴回りは29-30インチはあるだろうということです。公式な記録としては認められなかったとはいえ、レイク・キャステイクのピーク時にも更新できなかったワールドレコードを超えたかもしれないバスがこの世に存在することを証明したからです。
 一方で疑惑の目もまたポール・デュカロスに向けられました。65年ぶり(当時で)のワールドレコード更新は数百万ドルの価値があると言われたからです。正式にワールドレコードと認められたなら、ワールドレコードバスのレプリカの販売権、使用したタックルメーカーとの契約で、多額の金額が手に入ったはずでした。にもかかわらず、ポール・デュカロスは大金をみすみすリリースしてしまったのです。
 「写真はトリックに違いない」、「実際は24ポンドもなかった」、「あのバスは生き餌のニジマス(違法)で釣ったものに違いない」、「実は釣ったのではなく引っかけたに違いない」 根拠もない中傷もありました。この手の中傷はアメリカだけでなく、日本でもよくあることで、嘆かわしいことです。不正をしてまで名声を求めるような人は、バスフィッシングを愛せず、死ぬまで心に傷を負って生き続けるだけです。陰で真偽を確かめずに面白可笑しく中傷する人は、人間として屑です。
 一方で、凡人には理解しがたいポール・デュカロスの行為に対して、賞賛する声もたくさん集まりました。ポール・デュカロスはキャッチ&リリースの精神を大事にしていて、たとえワールドレコードのバスでも殺すことが許せなかったのです。ポール・デュカロスはインタビューでこんなコメントをしています。
"Whether it’s a world record or not, I don’t care. To kill the fish to have a world record, to have my name in a record book, that doesn’t mean as much to me as becoming a poster child for catch-and-release. That’s a reward because our fisheries will become better. That would mean more to me."
 その後、2匹目のドジョウならぬ、まだスプリングレイクのどこかで生きながらえている”大金”を狙って、多くのアングラーがスプリング・レイクに押し寄せましたが、ドッティーのようには2度と姿を現すことはありませんでした。この話、ボクは信じています。もし、禁断の果実、ワールドレコードをキャッチしたら、あなたならどうしますか? 

幻のワールドレコード その4


 1980-1990年代、最も注目を浴びたのがレイク・キャステイクです。レイク・キャステイクは1971年に完成、70年代中頃にはフロリダバスが放流されました。そして、1990-1991年にはレイク・キャステイクのピークを迎えます。この2年間だけで、4匹の20ポンドオーバーがキャッチされたのです。
Bobcrupi22_01lb_bass2  特に1991年3月、ボブ・クルーピーがキャッチした22.01ポンドはワールドレコードにわずか108g足りないというものでした。仮にニジマスを1匹食べていたら、軽くワールドレコードを更新していたことでしょう。ワールドレコードがキャッチされるのは、時間の問題と思われました。
 ボブ・クルーピーは一躍、時の人となります。というのも、ボブ・クルーピーは前年の1990年3月にも21.01ポンドというビッグフィッシュをキャッチしていたからです。今なお、20ポンドオーバーを2匹以上キャッチしているのは、ボブ・クルーピーただ1人です。ワールドレコードを更新するのは、ボブ・クルーピーに違いないと、全米のバスアングラーの注目の的となったのでした。
 ちなみに、ボブ・クルーピーが釣った2匹の20ポンドオーバーはともにライブ・クローフィッシュ(生き餌のザリガニ)でキャッチしたものです。生き餌と聞いて、ガッカリする人もいるかもしれませんが、生き餌を使えば誰でもワールドレコードクラスが釣れるというようなものではありません。バスの回遊ルートとタイミングをいかに把握しているかが重要なカギなんだそうで、ボブ・クルーピーはルアーを使っても釣りはうまかったそうです。ボブ・クルーピーは150匹以上の10ポンドオーバーをキャッチしているほか、4ポンドラインクラスのIGFAのワールドレコード17ポンド1オンスもキャッチしています。
2c83d0d0  当時、警察官だったボブ・クルーピーは、引退後レイク・キャステイクのガイドをしていましたが、最近はボブ・クルーピーに関する情報がまったく入ってきません。今は何をしているんでしょうか? 左の写真は最もよく見かける写真ですが、20ポンドオーバーのバスではなく、18ポンド6オンスのバス(当時はトップ25リスト入り)です。
 幸か不幸か、結局レイク・キャステイクからもワールドレコードを更新するビッグバスがキャッチされることはありませんでした。90年代前半のピークを過ぎ、その後は20ポンドを超えるようなサイズのバスはレイク・キャステイクからは姿を消してしまいました。

トーナメントのペイバック率とは その2


 アメリカのトーナメンターにとって、トップカテゴリーのB.A.S.S.エリートシリーズやFLWツアーに参戦するのは、憧れであり名誉でもあります。ただし、名誉のためだけに大金をつぎ込んでも長続きはしません。選手にとってはトーナメントは賞金を勝ち取り、スポンサーを獲得するための仕事でもあるのです。
 トップトーナメンターにとって、エリートに出場するかFLWツアーに出場するかは大きな決断です。スポンサーの絡みも当然ありますが、そういうしがらみがなければ、ペイバック率は大事な決断の要素となります。つまり、どっちが”おいしい”かです。
 今年のエリートシリーズの場合、何度も変更がありましたが、結局当初のペイアウトに近い形で決着がつきました(ただしAOYランキングのボーナスは減額)。エントリーフィーは1試合5200ドルで101人が出場しますから、エントリフィーの総額は52万5200ドルとなります。一方の賞金総額は計算すると63万8000ドルとなりました。つまり、ペイバック率は121.5%となります。1万ドルの賞金圏は50位なので、2人に1人はエントリーフィーの倍額が返ってくる確率となります。そして、1位から10位までの賞金総額は23万6500ドルと、全体の10%の選手が約37%の賞金を獲得することとなります。※シーズン終了後にAOYポイントランキングに応じてボーナスが支払われます。
 今年のFLWツアーの場合、レギュラートーナメントとスポンサーの冠のついたオープントーナメントがありますが、レギュラートーナメントの場合、エントリーフィーは4000ドルで150人が出場するのでエントリーフィーの総額は60万ドルとなります。一方の賞金総額は計算すると79万ドルとなりました。つまり、ペイバック率は131.75%となり、エリートシリーズよりも高いペイバック率であることが分かります。1万ドルの賞金圏はやはり50位なので、3人に1人はエントリーフィーの2.5倍が返ってくる確率となります。そして1位から10位までの賞金総額は35万ドルなので、全体の6.7%の選手が約44%の賞金を獲得することとなります。つまり、FLWツアーの方がハイリスク・ハイリターンの試合であることも分かります。※賞金額はレンジャーボートオーナーが優勝することを想定した計算です。
 もし、どちらからに出場できるとしたら、どっちに魅力を感じますか? トーナメントってギャンブルですよね。いずれにしても、ペイバック率が100%を超えているのは、多くのスポンサーのおかげです。それでも、全戦出場して、エントリーフィー分だけでも回収できる選手は半分もいないのが現実ですが・・・。

幻のワールドレコード その3


 不可能と思われてきたラージマウスバスのワールドレコード更新が現実的となったのは、南カリフォルニアにフロリダバスが放流されてからとなります。1959年、フロリダバスがカリフォルニア州サンディエゴに持ち込まれ、周辺のダム湖に放流されます。その後、他州では考えられないスピードでバスは巨大化していきました。
Bigbass  1973年6月、レイク・ミラマーで約21ポンドという巨大なバスがキャッチされます。ジョージ・ペリーがワールドレコードバスをキャッチした1932年以降、ほとんど不可能といわれた20ポンドの壁が41年振りに破られたのでした。これは当時、相当なビッグニュースだったに違いありません。20.9375ポンドのビッグバスはデイブ・ズィンマーリーによって、ライブ・ナイトクローラー(生き餌のミミズ)でキャッチされたのでした。
 その後もサンディエゴ周辺では15ポンドを超えるようなビッグバスが数多くキャッチされますが、1980年代のピークを境に久しく20ポンドを超えるようなバスは姿を消してしまいます(後に第2次のビッグバスブームがやってきますが・・・)。
 その後、サンディエゴ周辺に放流されたフロリダバスの子孫たちは、ロサンゼルス周辺にも移植されます。最初に注目されたのはレイク・カシタースでした。1980年3月4日、当時の世界ランク2位となる21.2ポンドのビッグバスがレイモンド・イースレイによってキャッチされたのです。ちなみルアーではなく、ライブ・クローフィッシュ、つまり生き餌のザリガニだったそうです。
 ボクが持っているIn-Fisherman監修の"LARGEMOUTH BASS"の43ページにはレイモンド・イースレイの写真が載っていて、現存する最も大きなバスの写真と紹介されています(当時はジョージ・ペリーの写真は未発見)。

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トーナメントのペイバック率とは その1


 先日、いつもコメントを入れてくれる"Living in Alabama"様からペイバック率に関するコメントをいただきました。日本ではペイバック率なんて気にしながらトーナメント参戦する人はいないと思いますが、アメリカではこのペイバック率は非常に大事です。
 例えて言うなら、よく出すパチンコ店とそうでないパチンコ店、よく出す日とそうでない日、どちらを選んでパチンコをするか、みたいなところでしょうか?
 アメリカのトーナメントは明朗会計です。フルフィールドといって定員を決め、定員に対して、賞金額がすべて公表されます。ペイバック率とは、エントリーフィー総額に対する賞金の総額です。たとえば、エントリーフィーの総額が1万ドルで、賞金総額が8000ドルだと、ペイバック率は80%ということになります。
 出場する側からすれば、ペイバック率が悪いほど、割に合わない試合となります。言いかえれば、トーナメント団体自体がそれで儲けていることを意味します。もちろん、団体は運営経費が掛かるので、ペイバック率を100%に近づけるためには、スポンサーの協力が必要となってきます。
 スポンサーからすれば、広告宣伝効果が大きい試合ほど、協賛金も大きく出せますが、広告宣伝効果が小さいローカルの試合では協賛金も出せません。一般にローカルの小さな試合ほどペイバック率は悪く、メジャーの大きな試合ほどペイバック率は高くなります。言いかえれば、エントリーフィーが安いほどペイバック率は悪く、エントリフィーが高いほどペイバック率は良くなるものです。考えれば当然で、団体が儲けていると思ったら、高いエントリーフィーなんてバカらしくて払えません。最近のUSオープントーナメントの出場者が激減しているのは顕著な例です。
 アメリカではトーナメント団体もたくさんあるので、選択肢が豊富です。結果、各団体が少しでもペイバック率を高くする運営努力をしなければ、出場者は減ってしまい、結果スポンサーも減り、団体自体の存続が難しくなるのです。
 一方の日本。選択肢もなければ、ペイバックは不透明。結果トーナメント離れする釣り人とスポンサー。残念ながら廃れるべくして廃れているといった感じがしますね。

幻のワールドレコード その2


 ジョージ・ペリーのキャッチしたワールドレコードの22ポンド4オンスのバスは写真が1枚も残っていなかったこともあり、その真偽が長年いつも話題となってきました。
 そもそもラージマウスバスが20ポンドを超えるまでに成長することなんて、ほとんどあり得ないことです。実際、現在のワールドビッグバス・トップ25リストを見ても、そのほとんどが過去20年にカリフォルニアでキャッチされたもので、ジョージア州はジョージ・ペリーのバスのみ、お隣のフロリダ州でも2匹しかリスト入りしていません。ちなみにアメリカ以外では日本が1匹だけリスト入りしています。
 一般によく言われることですが、カリフォルニア州でビッグバスが数多くキャッチされるのは訳があります。温暖なフロリダ地域よりも、適度に冬があるカリフォルニア州の方が脂肪を体内に蓄えやすく、ペレット育ちの脂肪分たっぷりの動きの鈍いニジマスが大量に放流されるので、バスは過食気味になる傾向があり、結果、他州ではあり得ないような巨大なサイズにまで成長できるのです。今となっては、確認しようがない75年以上も前の大記録を疑問視する声は多く、永遠に破ることができない記録とも言われてきました。
 ところが2005年、突然ある一枚の写真がジョージ・ペリーの遠い親族の持ち物の中から発見されました。古く色あせたその写真には巨大なバスが写っていました。写真にはジョージ・ペリー本人は写っていませんが、あの日、一緒に釣りに出かけたジャック・ペイジと思われる人物が写っています。写真はジョージ・ペリーがバスのウェイトを量ったといわれる郵便局の近くで撮られたものらしいのです。
 ジョージ・ペリーは生前、バスの写真を撮ったことを証言しており、写っているバスのサイズからも、幻のワールドレコードのバスにほぼ間違いないという結論に達したのでした。そして2006年、その写真はついに一般に公開されたのでした。ボク自身、ワールドレコードのバスの写真は残っていないものと教えられてきましたが、ついにその幻がボク達の前に現れたのでした。日本ではほとんど話題にならなかったので、初めて見る人も多いのでは?
参考資料
http://www.mrlurebox.com/GeorgePerryBass.htm
http://sports.espn.go.com/outdoors/bassmaster/news/story?page=BigBass_wr_lmb_Perry

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幻のワールドレコード その1


 昨日、ワールドレコードを真剣に狙う呉行修さんの話を紹介しました。ところで、ワールドレコードについて、最近のバスアングラーはどれくらい知っているでしょうか? 
Perry  バスフィッシング歴が長いボクにとっては、それがジョージ・ペリーによってキャッチされた22.25ポンドであることは常識なんですが、最近の釣り雑誌って、そういう夢のあるテーマってほとんど話題になりません。数ヶ月先にリリースされる新製品を宣伝する薄っぺらい内容の提灯記事ばかりです。新製品がリリースされたら、内容自体が古くなってポイです。昔は保存版にしたいような内容の雑誌も多かったのですが・・・。
 1932年6月2日に農家の息子、当時20歳(19歳という説も)のジョージ・ペリーは近所のジョージア州モンゴメリーレイクに釣り仲間のジャック・ペイジと出かけました。2人は自家製のボートで釣りを開始し、ジョージ・ペリーは唯一持っていたクリークチャブのウィグルフィッシュをキャストし、世界で最も有名な魚をキャッチすることになります。
Perry7  当時を振り返ってジョージ・ペリーはこんなコメントをしています。「ファイト中、そのバスがどれくらい大きいか想像もつかなかったが、そんなことよりもルアーを無くしてしまわないかの方が心配だった」と。当時のジョージ・ペリーにとって、バスフィッシングは趣味ではなく、漁だったのです。
 2人は、釣り上げた大物を家に持ち帰る途中、JJホールが経営する食料雑貨店に立ち寄り、ホール立ち会いの下、長さを測定しました。全長32.5インチ、胴回りは28.5インチだったそうです。続いて近くの郵便局に立ち寄り、郵便局の計りで重量を測定しました。その重量が22ポンド4オンスだったそうです。そして最後にその魚はペリー家の夕食としてフライになったそうです。
 その後、当時、フィールド&ストリーム誌が行っていたビッグフィッシュ・コンテストにジョージ・ペリーは第三者承認の記録として応募し、優勝賞品75ドル分を手にしたそうです。なぜか魚の写真は1枚も残っていなかったのですが、フィールド&ストリーム誌の公式な記録として残ったために、77年近く経った今でも破ることができない幻のワールドレコードとして認定されることとなったのでした。今のIGFAのルールなら公式な記録としては認められなかったことでしょう。
Perry4  ジョージ・ペリー自身の有名な写真(上)は残っているのですが、彼が持つバスはワールドレコードのバスではなく、別のバスです。その後、ジョージ・ペリーは1974年、自らが操縦する飛行機の事故で、その生涯を閉じることとなります。ちなみに、モンゴメリーレイクは今は無く、ただそこに記念碑が立っているだけです。