コ・アングラーについて その3


 ボクが長年親しくしている友人にステフェン・トッシュJRがいます。ボクは愛称でバブと呼んでいまして、ボクにとってはかなりやんちゃな弟といった感じです。残念ながら今は離婚してしまいましたが、バブの結婚式にはボクも夫婦で招待もされました。やはりトーナメンターのバブの父親、スティーブはボクのことをSon、つまり息子と呼んでくれ、今もメールや電話でよく連絡をとっています。そんな家族ぐるみの付き合いです。
Tosh  バブはウェスタンを中心に活動していたのですが、他のウェスタンの選手の活躍を見て、バブ自身もツアーレベルでの活躍を夢見るようになりました。とはいえ、2003年のエバースタート・ウェスタンディビジョンは成績が振るわず、ツアー昇格権を得ることができず、バブは2004年のFLWツアーにコ・アングラーとして参戦しました。格下のエバースタートとはいえ、プロで参戦したバブが、ツアーのコ・アングラーに参戦することについては、正直少しガッカリしたのを覚えています。しかし、ストレーンはプロで参戦し、ツアーはコ・アングラーで参戦するような人は今もけっこういるのが現実です。実際、バブは大きなスポンサーが付いているわけでもなく、経済的にも余裕があるわけではなかったので、仮に2004年にツアー昇格権を得たとしても、ツアー参戦は厳しかったと思われます。
 そんなバブは2004年シーズン、コ・アングラー部門で大活躍しました。全6試合で賞金を獲り、第5戦ケンタッキーレイク戦を優勝し、年間ランキング3位でフィニッシュし、FLWチャンピオンシップでは、またしても優勝してしまいました。バブはこれをステップに2005年シーズンからFLWツアーにプロで参戦することになりました。ボク自身、バブのプロとしての活躍を期待しました。しかし、そこはツアーレベルのプロの世界です。現実はそう甘くありません。2005年はランキング81位、2006年はランキング88位でシーズンを終え、2年間の収支は大赤字となってしまいました。成績としてはツアー残留できるのですが、バブは大口のスポンサーも得られないまま2007年のツアー参戦を断念しなくてはならなくなってしまいました。
 2006年のFLWツアー最終戦、レイク・シャンプレーン戦が終了すると、バブはなんとバスマスターエリートシリーズにコ・アングラーとして参戦したのです。結果はオネイダ戦を8位、シャンプレーン戦を18位、ポトマック戦を25位、テーブルロック戦を10位というすべての試合で賞金を得ました。さすがにこのときはボクは友人としてバブのコ・アングラー参戦を反対しました。ルール上は問題なかったとしても、バブがプロとしての自覚、プライドを捨ててしまえば、将来、大きなスポンサーを勝ち取るチャンスを失うと心配したからです。「FLWツアーのプロなんてエリートシリーズのコ・アングラーレベル」なんていうイヤミすら聞こえました。当然、FLWに参戦するほかのツアープロにとっても気分がいいものではなかったはずです。
 そんなバブは今季、地元ウェスタンで始まったFLWシリーズ参戦を心待ちにしていたのですが、ハバス戦で賞金を逃し、得意のホームレイク・デルタ戦を目前にして先週突然、病気で入院してしまいました。今季は絶望ということです。バブはまだまだ若いです。苦労して遠回りしていますが、いつか、真のプロフェッショナルアングラーとして活躍する日が来るのを信じています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください