ボクはワールドレコードのバスに対する想いは、人一倍強いと信じています。アメリカのバス雑誌では、どんなテーマよりもこのワールドレコード関連の記事をワクワクして読んできました。
アメリカではボブ・クルーピーやダン・カドタにも会いましたし、マイク・ロングやジェド・ディッカーソンとワールドレコードバスについて語り合ったこともあります。アメリカに行き始めた頃、一番行きたかった釣り場はレイク・キャステイクでしたし、ドッティーに会いたくて、レイク・ディクソンにも行ったことがあります。今シーズン出場しているFLWウェスタンシリーズで、年間20位以内に入って、来年ジョージア州レイク・レニアで開催されるフォレストウッドカップに出場できれば、聖地モンゴメリー・レイク跡地にも巡礼したいと思っていました。
ワールドレコードには夢があります。オリンピック競技の世界新記録は、誰もにチャンスがあるわけではありませんが、釣りのワールドレコードは、誰にでもチャンスがあります(実際はそう簡単でもないですが・・・)。そして、バスのワールドレコードは、中でも最も価値がある記録と言われ続けてきました。何度か破られそうになりながらも、認定にまで至らず、76年間、崇高な記録として君臨してきました。
アメリカでは「ワールドレコードのバスが釣れると、ポリグラフテストを受けなければならない」、「ワールドレコードは数億円の価値がある」、「ワールドレコードが釣れると、まず最初に弁護士を呼べ」など様々なことが言われてきたのも、この記録があまりにも高い壁だからです。その一方で、「ワールドレコードを釣った人は不幸になる」とも聞いたことがあります。中傷を受けたり、プライベートがなくなったり、友人や家族を失ったりするかもしれないからです。言わば、ワールドレコードは禁断の果実、パンドラの箱でもあるのです。
ボク自身は年齢を重ねるにつれ、ワールドレコードは永遠にジョージ・ペリーの記録のままであってほしいと思うようになりました。神格化した永遠の記録の方がロマンがあるような気がするからです。
そんな中、ついに琵琶湖であのバスがキャッチされました。正直、複雑な気持ちです。狙い続けて釣った方には敬意を表しますが、そんな奇跡級に大きく育ったバスにも同じくらい敬意を感じずにはいられません。だから、ライブベイトだったこと、殺したことを知ったときはショックでした。もちろん、非難する気はありませんが、ワールドレコードはルアーでキャッチされてほしかった、リリースが叶わなくても、生きて悠然と泳ぐ姿を一目拝んでみたかった、というのが本音です。これはボク個人の想いであって、賛同を求めるわけでもありません。もちろん、反論もあるでしょう。ただ、どうしてもこの気持ちを書かずにはいられませんでした。